マネージャーの独り言「児童相談所と懲戒権、懲戒の意味」茨城県つくば市

「子供の躾と非行」


 久しぶりに独り言をつぶやきたくなり書き込みます。心に残ったので。

もちろん相談者につてですが、家庭問題で夫婦で来店された方の実話です。

登場人物は<仮名>です。相談者の父親が児童相談所とのやり取りについて不信感や、やるせなさ、悔しい思いを話して下さいました。

娘が一人、高校1年生の頃。<2年前>スマートフォンの依存で恋愛ゲームとネットでの購買、深夜の帰宅、スマートフォンを回収しても電話会社に嘘を言い保険で隠れてまた手に入れる、免許書のコピーと偽造。

思春期もあるが、現在有名進学校へ通っているにもかかわらず成績も上がらない勉強もしない。

父親は子供の友人関係にも問題があると話し始めました。友人の名前は中田、<女性>。この友人も共同にてネットでアニメ関係のグッズを購入。

ここ2年ぐらい前から中学生のころから様子がおかしい、素行が悪くなってきた。

父親はその母親にクレームを入れ、こちらの子供とのネット購入を止めさせるように苦情を入れた。

その際に中田の母親は、家の子供とそちらの子供とは良い友達なので離れさせないように邪魔を入れるなと言われたそうです。

もちろん友人は子供が選択するものですが、父親からするとこの家庭には問題があると感ずいていました。

なぜなら、中田の母親は「そちらの娘さんは生徒会長ですよ?仲良くさせたいんです」自分の利益しか考えていないからだ。

まるで生徒会長の相談者の子供を自分の子供の様に自慢しているかの様だったと父親は話していました。

その後、相談者の母親は娘を問いただすと中田には兄がおり不登校で児童相談所で昔お世話になった事を話しました。

このまま友人付き合いが続くと利用されて捨てられ、家庭の中を狂わせるような心傷つく事が起こらないか心配していました。

人の家庭を羨むような心が曲がった方だと父親は察知したといい、心配していましたがその心配が実際に起こり始めました。

ある日、相談者の娘が学校から帰宅しスマホの件で父親が注意した際に自分から家を飛び出しました。置手紙には「友人の所へ行ってくる」と書かれていました。

「霊能者と児童相談所と警察」


その夜、警察と児童相談所から連絡があり相談者家族に不幸が現実となり始めました。

警察はネグレクトの疑いやDVを問い仲介者もある事を言い父親はこの様に答えました「DVが事実なら婦人警官にて身体検査をして身体を調べて下さい。診断書でもあるのですか?」

ネグレクトの疑いは自分の意思にて出て行っており民事介入するな」と警察に非常に強く拒否したそうです。

その際に父親は正直に躾の上でげんこつをしたり座っている椅子を蹴飛ばしたりしたことを警察に話しており電話口の中年警察官に「あなたも父親に叱られたりコツかれた事がある世代でしょ?」と聞くともちろんあると言い「勉強いたします」と言い警察は引き下がり児童相談所に全てを振る事になったそうです。

私は父親の行動に強い意志と正義は自分にあると親の信念を感じました。

警察は引き下がりこの後は児童相談所との攻防が始まりました。

もちろんカウンセリングです。MEDIUMは子供のわがままと頑固、躾を嫌い逃げる様なアイディアをどこからか受け入れている。友情を使った洗脳の様だと霊視。父親の思いと霊視が一致。

ここから先は児童相談所が常に仲介に入り、直接に逢って話す事が出来ない状況に入り物事の展開が遅く、家庭で得られる触れ合いや躾が思うようにいかない状況が続いていく事になります。

児童相談所は父親の言い分も聞き入れる部分もあるが、児童保護法を盾に子供を守ろうとします。

父親からするとわがままを親のせいにして躾から逃げ住みやすい環境を手に入れているだけであると言い保護とは程遠いと話していました。

ここで相談者の母親の言葉はMEDIUMの霊視と同じく友人宅からの洗脳と嫉妬から起こった不運と言い。毅然とした態度で突き放すと言った。

児童相談所はネグレクトの疑いも白紙に戻し、子供から謝罪の手紙を預かり家族は受け取りましたが、とても本音の文章とは思えませんでした。

取り繕った文章。

MEDIUMは霊視から仲介者は中田で間違いない。親切や児童の保護が目的でない事を霊視から指摘。

父親の価値観からすると普通は子供の友人が逃げてきた、または泊まらせてくれなどできた場合はその両親に連絡し、状況を聞き取り仲介に入るまたは問題なければ連れ戻すなどするのが当たり前であると話す。

怪我をしている場合は暴力が本当にあるのか聞き、警察に相談となるがこのケースそうではない。

霊視からこのケース悪いのは甘やかされた子供と悪い友人とその母親である。

躾を拒む、口うるさい親から離れたい、自分が頑固で口うるさい親から離れたいと言う感情を拾わず児童保護は保護ではないと言わざる負えない。

「霊視と民法、懲戒権の意味」


ここで民法につて。

文章を書いている私個人の気持ちですが、あくまで個人の気持ちです。50歳も後半になるおじさんの話ですが、私は小学校の頃に3年生?朝図先生<女性>教室で言う事を聞かない私を両手で頬を数回びんたしました。泣きました。忘れもしません。私が悪いから仕方ありません。恨みもないです。

5年生?滝沢先生<女性>頬をつねられ立たされました。ふざけていたから仕方ありません。泣きました。恨みもないです。

高校3年生。古橋先生<男性>英語の先生でした。学校でしてはいけない事をしていて出席簿を横向きにして顔を殴られ眼鏡が遠くに飛んでいきました。自分が悪いので恨みもないです。

今の時代だと大問題ですよね?

今の時代まで生きて来て非常に感じるのは、PTAや親、国が少年への体罰に対して、過敏に反応して変えて行ったルールです。親とPTAには自分達の至らない事を学校のせいにしたり、自分たちの躾の責任を学校に求めたりする事で逃れてきた躾がルールを大きく変えてきたとも思います。

もちろん暴力はいけません。程度の問題と児童相談所職員も言ったそうです。程度?触れるはOKで痛いは暴力?<懲戒権の話をした際に相談員は程度の問題とハッキリ言ったそうです>

このケースのように子供が嘘をついてネグレクトがある、悪い大人が仲介者に入り不幸に転ずることも十分考えられます。

現に相談者の子供は家を飛び出すときに神棚から現金を盗み、見つかり謝罪し返金していますが、誰が立て替えたか分かりません。

学校も非行が蔓延していた頃と今はどうでしょうか?少年のいじめは減りましたか?ツッパリ少年は減りましたが、陰湿ないじめは無くなっていません。

先生も犯罪を犯す先生も増えました。先生になるには医者ぐらい努力しないとなれないようにすれば先生の犯罪も減るのではないでしょうか?

相談者の父親は、児童相談所職員が家庭内で悪質に言う事を聞かない、家庭に不利益や精神的苦痛を与えるほどであれば子供の行動による暴力であるとみなされると言ってくれたことだけは幸いだと言っています。

この先の文章の一部は相談者が持参したA4紙から一部記載いたしました。

親の子どもに対する懲戒権は、基本的親子関係について定める民法に規定されています。その規定は、民法の一部改正(平成23年法律第61号、平成24年4月施行)により、次のようになっています。

懲戒権について

・第820条(監護及び教育の権利義務)

親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。
・第822条(懲戒)

「この第822条だと懲戒権から反し子供をほぼ拘束してしまっている児童相談所に問題はないのか?監護及び教育する権利」「児童相談所職員はあなたの子供が嫌がっているので、今の所生活を共にできない」親よりも児童相談所優先?

親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。

「相談者父親は必要な範囲内での懲戒を行ったのではないでしょうが?」

この改正は、社会問題化している子ども虐待を防止することを目的として行われたものです。

改正により、「子の利益のために」という言葉が第820条に挿入され、第820条を引用する第822条において、懲戒権の行使は、子の利益のためになされる監護及び教育に必要な範囲内に限られることが明示されました。

「子の利益のために」という言葉が挿入されたこと、それが監護教育に必要な範囲内に限られると明示されたことは、評価されるところです。

しかし、子どもを暴力から守り、すこやかな成長を保障するという法改正の目的からは、課題が残ったと言えます。法は、監護教育上「子の利益のため」であれば、なおも暴力の使用を認める余地を残しているからです。

民法は、懲戒方法を具体的に定めていません。しかし、最も詳細な民法注釈書である新版注釈民法(25)は、その方法を次のように示しています。

「懲戒のためには、
しかる・なぐる・ひねる・しばる・押入れに入れる・蔵に入れる・ 禁食せしめるなど適宣の手段を用いてよいであろう(以下、省略)」

このような解釈は、親の支配的権能を想起させ、明治民法(1898年制定)にあった懲戒権の考え方を踏襲しているように思われます。

当時は、愛着(アタッチメント)や子どもの発達に関する科学的理解が進んでいなかった時代です。

そして一般には、子どもの非行や過誤の矯正という懲戒の意味をも超え、子育て全般の手段として理解され、なぐる、蹴る、叩くなどの行為が広く、そして「大したことではない」と、使われています。

子どもの発達上極めて自然な言動、例えば、おとなのように素早く行動できないこと、人見知りからの行動、自立の芽生えと十分に理解できる言動などに対してさえ、支配的な対応、押しつけ、感情のはけ口として、叩くなどの行為が用いられています。

そうした行為は、人としての尊厳を傷つけるものであり、「子の利益のために」と定めた監護教育権と矛盾しているように思われます。

懲戒権に関する規定を削除したとしても,親権者は民法第820条の「監護及び教育」として同様の行為をすることができるとの指摘があることからすると,親権者がなし得る行為の範囲は基本的に変わらないと考えられる(注2)(注3)。

また,懲戒権に関する規定を削除したとしても,「懲戒」という言葉が別の言葉に置き換わるだけであり,体罰を禁止するための規定を別途設ける必要があるのではないか,懲戒権に関する規定の削除によって,親権者による正当なしつけもできなくなるのではないかという懸念に応えることが必要となる。

これらは頂いた相談者の父親が持参した懲戒権についてのA4の書類か記載しました。

「体罰とスポーツ、格闘技の違い」


もう一言。

日本は柔道、剣道、相撲、空手、合気道など格闘技において多彩でありますが、児童のスポーツにおいて強制的、暴力的であっても児童相談所は関与しません。

私も柔道を警察所にて習っていた事があります。神棚があり練習は礼に始まり礼に終わる。スポーツ、格闘技も最初はだれか人が作ったものです。ルールも。

卓球の愛ちゃんが20年ぐらい前にTVにて紹介されているのを見て泣きながら母親に練習を止めたい辛いと言っても強制的<本人にやめてしまってもいいの?と聞き>に練習を行っているのを見て何が違うのか純粋に疑問に思った事を覚えています。

ボクシングで19歳のチャンピオン未成年が登場しスポーツと言うルールの上でリングで鼻血を出していても暴力とみなしません。

殴り合いのボクシング、亀田家族が英才教育でボクシングを家庭で教えていてもDVとして受け入れません。

児童相談所では殴る、叩くなどですべて暴力とみなすと相談者の父親は説明を受けており矛盾を感じます。

私ももちろんその違いに自分なりに一線があるのは承知しておりますが、児童相談所へ仲介者として報告するには注意が必要だと私は思います。

暴力を完全になくすには格闘技も無くすべきです。児童保護法も完全ではないからです。身体に触れ痛みを与えれば暴力?

ルールや信頼がスポーツにあり格闘技によって心身を鍛える事は、家庭の躾けと何が違うのでしょうか?

青年選手が練習がきつと泣きを入れても練習を続ける。

子供が自宅で甘い心から躾に泣きを入れるが親は厳しく叱る<懲戒権>。

厳しく叩かれた事のない人が親になっている時代。叩かれた事がないので加減が解らない人が親になっている時代。

その時代に育った人が児童相談所で働いている事。意見が合うはずがありません。

他…etc

「霊視と相談者感情の一致」


と言う事で長々とお付き合いありがとうございます。最後に私は時代錯誤かもしれませんが、懲戒権が無くならない事、この言葉が無くならない方が良いと思っています。賛成できない人にはごめんなさい。

私はその様に育ち、今も日本は教育論と親子関係に対し独自性を持て懲戒権を維持しています。

霊視から事実を伝え明るみにする事が出来ましたが、現在この家族は未だに離れ離れで暮らし連絡は取れません。

娘は高校を卒業し児童相談所とも関係が切れ、独立していく事になります。大学には合格して給付金の奨学金で大学を目指すそうです。

親に対しての感謝や謝罪、お礼などはないそうです。

心通う譲り合いと、受け入れ合う事で家族は絆を知るのに大変不運であります。

悪霊とは悪い心、すなわち悪い魂である。生きている人間の心にも奴らは住み続ける。

人の心の隙間に入り込み、嫉妬や妬み恨みなどを心に感じた時行動を起こす。


https://medium-spiritual.com/

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